
敷居を跨いだ途端、別世界の静けさを感じた。
コロナウイルスのこともあり人通りが少ないのは確かだが
空っぽの静けさではない何かを建物の内部から感じる。
建築から数百年、幾度となく訪れた強風や地震を乗り越えてきた強さから伝わってくる貫禄なのだろうか。
その支えとなった日本伝統の建築様式「木組み」に惚れ、じっと見てしまう。
しかし今回はお寺巡りに来たのではない。
世界中を周りながら瞑想や仏教について指導しているという僧が
ここ妙心寺で瞑想を教えてくれるということで、片道数時間をかけて訪れた。
最後列に座ってしまう日本人の性質を忘れて、最前列ど真ん中に座敷を取った。
軽い座談の後、Half Lotusの姿勢で25分間の瞑想を行う。
初めに2つのやり方が紹介された。
一つめは、意識は呼吸に集中させ、丹田から呼吸を行う。最も古式な方法の一つであるらしい。
もう一つ伝統的なのが、「鼻孔に意識を当てる方法」だ。息を吸った時には冷たさを、吐いたときには暖かさを、その都度感じていく。
他には数を数える方法など様々なバリエーションが時代を経て提唱されてきたが、初期の方法は決まって「身体を基点にしている」ようだ。
おそらくそちらのほうが、意識と身体の動きを同期しやすいのだと思う。
なるほど、「まずはやってみる」「身体で覚える」と言われるが、これはなかなか理にかなっているのかもしれない。
※丹田とはへその下辺りの部分のことで、いわゆる腹式呼吸はここを基点に行う。筋トレ、気功法からボイストレーニングまで多くの指導者が呼吸の説明をする時に意識させる場所である。現代人の浅い呼吸は、丹田を意識した呼吸(腹式呼吸)を意識的に訓練することで解消され、脳の働きも活発になる
私は今まで、国内数カ所でのレッスン、アメリカの大学、タイのマッサージ学校でも瞑想を学び
日常的に実践してきましたが、この指摘で言われている事は、少し気を抜くと陥りがちだなぁと実感しています。
この一日だけで、重要な気づきと学びが得られたので、ここで惜しみなく共有さします。
記事の内容
記事の内容
1.世界を客観的に観るということ
瞑想の本質が「観察」であると聞いたとき
ある投資家から学んだ1つの教訓と繋がりました。
それは
「緻密な観察力を持つこと=世界をありのままに観ること。」
世界を色眼鏡をかけて観てはいけないということです。
この教えは古今東西、言葉を変えて様々な文脈で伝えられてきました。
そうですね、例えば
- サングラスをかけて世界を見てしまっているがゆえに、暗く先の見えない危険な世界観を悪意なく構築してしまい、本当は眩しく明るい世界を認識できていない。
- バラ色メガネでは重要な赤い字が見えない (through rose-colored glasses)
人間は誰しも偏見や意見、好き嫌いに左右され、見たいものだけを見てしまいがちな生き物です。
かと言ってもちろん、自分の一部であるそれらを否定してはいけない。それは自分にウソを付くことになるし、何も考えずにとりあえず正しそうな他人の意見に便乗してしまうことにも繋がりかねない。
それらを否定するのではなく、一旦切り離し、まずは対象の本質を理解することが重要なのです。
2.ケーススタディ
現在(2020年4月)新型コロナウイルスの流行で世界経済が麻痺し、各国の株価は暴落し時価総額の約30%以上が失われましたが
緻密に観察できると、このような客観的データ以外にも人間真理についての多くの客観的考察が得られます。
一例を挙げると
- 疫学の専門家ではない、専門家らしき人物の意見を過大評価してしまう人間のバイアス(ラベリング効果)
- 多数派の意見・行動に引っ張られ、フェイクニュースに気づけない大衆心理(バンドワゴン効果)
- メディアが切り取った部分的世界だけを見て、あたかも実際の世界を俯瞰したかのように錯覚してしまう(スポットライトの副作用)
などでしょうか。
これらがまず認識できれば、やるべきことは自ずと明らかになります。
自分が何をすべきか、どうしたいか、また何を調べればよいかなどの自己判断は、出来事そのものを客観的に見た後で十分なのです。
3.世界のエリートは知っている「その費用対効果」
あまり知られていませんが
GAFAをはじめとする世界の大企業、具体的にはそのエリート層達は
瞑想やマインドフルネス系の活動に莫大な資金を投じて投資をしています。
■三菱地所の新事業「Medicha」 マインドフルネスを新たなビジネスに
https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/watch/00013/00525/
また、時間的富裕層御用の軽井沢の別荘の中には、瞑想部屋が設けられた物件がいくつかあります。
アメリカにいた時に訪れた医療系企業を経営する方の自宅にも、瞑想部屋が一つありました。
わざわざ専用の部屋まで作る人は少ないと思うので、瞑想を習慣にしているエリートはもっと沢山いることでしょう。
先進国で企業の方向性が
「生産量最大化→生産性、QOL(Quality of life)向上」
にパラダイム・シフトしている今、さらに多くの企業が瞑想を推奨する動きは広がっていくと個人的には考えています。
4.成功したから瞑想しているんじゃない
学び始めた頃は
「瞑想なんて時間があるお金持ちが始める趣味にすぎないだろ」
と思っていました。
浅はかで無知でした。
むしろ逆で、
瞑想や運動を継続して続けてきたことで、日々の生活の質全体が上がり、結果として成果が出て、金銭的 (or 時間的) 富裕層になった。
という反命題(アンチテーゼ)を完全にないがしろにしていました。
もちろん答えなんてありませんが、少なくとも、そう考えた方が
実現可能な目標として扱えるのではないでしょうか。
- 時間もお金も足りないから、瞑想や運動を始められない。(原因論)
- エリートでもないのに、瞑想や運動をガチでやるなんてダサい。(原因論)
- 時間的・金銭的な成功をなしとげるために、今から瞑想や運動を日常に取り入れよう。(目的論)
どちらの姿勢を持ったほうが、理想のライフスタイル、自己実現に近づけるでしょうか。
なりたい自分になるためには、
過去と今の自分を認め、
原因に囚われるのではなく目的に没頭し、目的のために
少しずつでもいいから、ちょっと負荷がかかることをしなければいけないのだと思います。
5.サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想
瞑想は大きくこれらの2種類に分けられます。
一言で表すと、
サマタ瞑想は「一点集中型」
巷で指導されている多くの瞑想がこちらのスタイルです。意識を向ける対象が1つなので、取っつき易く指導もしやすい方法です。
ヴィパッサナー瞑想は「フロー型」
あらゆる感情から感覚(かゆみ・匂い・音)まで知覚できるすべての対象に、逐一ラベリングしていく方法です。
そして、世界を見る解像度を上げることに貢献するのが、後者のヴィパッサナー瞑想になります。
私自身はサマタ瞑想から始め、今はヴィパッサナー瞑想を毎朝練習しており、感情の起伏はもちろん、世の中の出来事を客観的に観ることにかなり貢献していると少~しずつ実感できるようになってきました。
歩きながらでもできる方法なので、日々の習慣に組み込みやすいと思います。
6.深く学びたいあなたへ:推薦図書
ブッダの瞑想法(Amazon)
ブッダが実践していたヴィパッサナー瞑想について体系的にまとめられた独習用の書籍です。
瞑想関連の書籍はいくつか読みましたが、中でも特に深さとわかりやすさ、理論と実践の程よいバランスから、学び初めの一冊としては最適だと思います。
私も手に入れてから2年ほど経ちますが読むたびに新しい気付きと改善があります。
読み方としては、第四章の「基本瞑想の実践マニュアル」から始めるのがオススメです。
「瞑想の世界を理論的に諒解しただけでは、知的情報がデータとして加算されるだけであって、心は何も変わりません。「分かっちゃいるけど、止められない」のです。心が変わるということは、情報処理の仕方や解釈の仕方、意志決定のプロセス、定番になっている反応パターン等々が根底から組み替わっていくことです。」
著者:池橋秀雄
この一冊だけでも、実践編までしっかりと取り組めば、数週間後にはこの著者の言っていることが実感を持って納得されると思います。
積極的に学び、共に、人生の質を底上げしていきましょう。
では今回はここで
ありがとうございました。
追伸
約1年半ぶりのブログ更新になりました。
「記事の続きはまだですか」
というメールを何通かいただいており、お待たせして申し訳ありません。
もちろん、ブログ運営をドタキャンしていたわけではなく
発信をしない期間をあえて作り、ほとんどの時間を自己投資に費やしていました。
語学の学習はもちろん、投資の実践、オンラインコミュニティの研究をはじめ、脳科学を活かした習慣の構築など、知識収集だけに留まらず同時並行で実践も行ってきました。
引きこもりに疲れた時は、リトリートとしてバックパック1つでタイにド短期一人旅に行き、現地のマッサージ学校で足裏経穴マッサージを学ぶため3日間の集中講習も受けました。
今年からは、発信の割合を増やして「役に立ち、学びのきっかけになる」
をモットーに記事を書いていく意気込みです。
応援して頂けると幸いです。
「自分の発見したことがどんなにささやかでも、すべてを忠実に公衆に伝え、
優れた精神の持ち主がさらに前に進むように促すことだ。
その際、各自がその性向と能力に従い必要な実験に協力し、
知り得た全てを公衆に伝えるのである。
先の物が到達した地点から後の者が始め、
こうして多くの人の生涯と業績を合わせて、
われわれ全体で、各人が別々になしうるよりも
はるかに遠くまで進むことができるようにするのである。」
ルネ・デカルト
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